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2020年02月02日

宮城県を信じ、宮城県村井知事を信じて、進んできたみやぎおかみ会活動記録



宮城には、みやぎおかみ会
という団体がございます。
1991年3月の発足。
以後、長年に渡り
宮城県とともに宮城の観光推進に
努めてまいりました。





その事業方針には

東北・宮城の雄大な自然
豊富な温泉群を体感し
安心安全なお料理を賞味して
いただくために、
そして、宮城の人情豊かな風土を
養いながら
活力ある地域、観光地づくりに
努力いたします


事業内容には

・宮城県並びに各市町村の観光誘客キャンペーンに
協賛参加します
・女性責任者としての
自己研鑽に努めます
・地域観光の自主活動を
推進します
・宮城県の観光に関する
事業に協力いたします



現在37施設の宮城県内の宿泊施設の登録がある
みやぎおかみ会。
その宿泊施設の女将・若女将たちが
メンバーとなり、様々なミッションをやり遂げてまいりました。


昨今では、国内外から訪れる観光客のサービスと接遇に
あたるとともに会員相互の更なる親睦を図ってきております。

2011年3月11日の東日本大震災により東北をはじめ宮城の観光は風評被害で苦戦を強いられております。
復興を遂げたという一言はまだ言い切れないほど
宮城県内各地で、皆が苦労と努力を積み重ねてまいりました。
会員一同情報を共有し、連携を強め観光の力で復旧・復興に努めてまいりました。


この
「観光の力で復旧・復興」という思い。
この気持ちになって前へ進んでこれたのも
宮城県村井知事の叱咤激励があったからなのです


私たちは、あの未憎悪の被害であった東日本大震災で
家族を失い
友人知人を失い
家を失い
心が折れ
前を向くことすらできなくなりました。


私たち観光業界の人間たちは、だれもが
「宮城の観光は終わった」
思ったに違いありません。


みやぎおかみ会も、メンバー一同
憔悴しきり、津波被害、地震被害に遭い
命からがら助かった女将もおります

もう、お客様をお迎えすることはできないだろう
もう、昨日までとは同じ生活はできない
自分たちの地域が死んだと。


ある時、東日本大震災後、
宮城県から、みやぎおかみ会に
「東京~仙台間の新幹線が開通するので
最初に到着する新幹線を
仙台駅でお出迎えしてもらいたい」

という依頼がありました。

当時、私はみやぎおかみ会副会長を務めておりました。
当時の会長磯田女将と、悩みに悩み
お断りしようかとも考えました。
それどころはなかったのです。

その時、村井知事はおっしゃいました。
「頼む! 宮城が元気だと女将たちから
伝えてくれ!」
「やっと新幹線が開通する!おもてなしの心でお迎えをお願いしたい!」


当時は、みやぎおかみ会全メンバーは
とてもじゃありませんが、皆で仙台駅へ行くことは
不可能でした。
村井知事からの強いお言葉に応えようと
比較的、動きが取れる山側の女将たちが集い
仙台駅へ集合いたしました。

その時の様子がこちらです




この様子が報道で全国へ流れました。

それから、私たちみやぎおかみ会のいばらの道が始まりました。

この報道をご覧になった全国の方々
被災地の方々から
多くのお声を頂戴いたしました。

「元気です!宮城!なんて言うな!」
「元気なんかじゃ
ないんだ!」
「観光、観光なんて言うんじゃない!ふざけるな!」
「女将がなんだ!」
「着物着てがれきの上にでも立ってみろっ!」



各施設に猛攻撃の電話。
来館して直接言われた女将もおります。


それからの宮城県内の宿泊施設は、復興支援隊の受け入れ
被災地丸ごと町内の受け入れ
全国からの支援の皆様の受け入れをさせていただきました。



この新幹線が開通してからは少ないですが
一般のお客様もお泊り頂けるようになりました。
その際も、

「支援隊と同じ施設に泊まるの??」
「復興支援隊の人達と食事するの??」


など、信じられない言葉を浴びせられました。
どれほど悔しくて、悲しい気持ちになったか
言葉では言い表せません。
建物被害が大きい施設では、工事をしながらの皆様の
受け入れも余儀なくされ、見た目も悪い状況でも
営業をせざるを得ない、そんなときも


「こんな状態でよく商売してるな!」
「予約していたが、こんな
状況下での営業なら
予約を取り消す!」
「こんな状況でもまだ儲けたいのか!」


ここまでの辛い言葉を受け続け
私たち、みやぎおかみ会は、気力も体力も
すべて失いました。


もうこれ以上は、
宮城の観光が
元気だとは
言い続けられない


メンバーでも話し合い、その時みやぎおかみ会が
出した決断は


「まずは、自分の店を
しっかり立て直し
従業員を守り
地域を守り
静かに、自分のところだけ
やっていこうと。」


その後、みやぎおかみ会は活動を自粛。
一切の宮城の観光推進活動を休止いたしました。


津波被害で立て直しもままならない
資金繰りに途方に暮れる
従業員が戻らない
地域が死に、立て直すマンパワーもない

どれほどの悲しみを乗り越え
それぞれの地域に寄り添ってきたか
女将たちは多く語りませんでした。


しかし、そんな日々が続いていた時
宮城県村井知事より
メッセージが。


「みやぎおかみ会のみんなに、出てきてほしい!」
「宮城のために、以前のように活動してほしい」
「観光はすべての産業を
動かす力なんだ!」

「観光が死んでしまったら、宮城の復興はない!」
「観光が動けば、
人も、お金も、すべてが動き出すんだ!」


このように言われました。

村井知事の言葉が
どれだけ私たちを勇気づけ
再度活動する原動力になったでしょう。


村井知事にはファンも多く
いらっしゃいます。
みやぎおかみ会メンバーも村井知事ファンが多くいます。


前を向き!
私たちは宮城の観光の
語り部となり
甚大な災害を乗り越え
そして、観光へとつなぐ
架け橋となることで
多くの皆様に
伝えなくてはならない!



という、強い使命感とともに
進んでまいりました。


東日本大震災後も常に宮城県とともに、
活動し宮城の観光に全力を注いでまいりました。

それからは、この大震災で元気をなくした宮城県だけれども
宮城には美味しいもの、素晴らしい景色
温かい心と人情があることを
全国に伝えるため
みやぎおかみ会メンバーは
駆け回りました。





(仙台駅でのキャンペーン)


(東京・お台場での宮城の元気発信)


(宮城での各業界団体へ、災害時の旅館の在り方)


(観光庁へ 東北6県の女将たちのメッセージ)



(東北楽天ゴールデンイーグルス 震災後開幕式にて東北・宮城観光PR)





(大阪・高槻市にて 宮城県観光物産展 トークショー)


(読売新聞社にて 宮城の観光PR)


(仙台・宮城DC開幕セレモニー)


(和歌山にて 二階 俊博氏より被災県女将の慰労表彰)


(宮城県夏のキャンペーンキャラバン)



(仙台駅にて 宮城県観光キャンペーン周知ビラ配り)




(宮城県 冬の観光キャンペーンキックオフセレモニー)


まだまだ、お伝え
しきれないほど
私たち、みやぎおかみ会は
宮城県、村井知事とともに
ここまで前へ進んで
まいりました。
信じて
進んでまいりました。



それなのに、
それなのに!!


ここにきて、宮城県宿泊税導入
問題勃発
です。


どうか、お願いです。
私たちのこの気持ちに耳を傾けてください。

ここまで築いてきた
関係は
なんだったのでしょう。

このようなポスターも、
作らせていただきました。



長い年月、
互いに勇気づけて
進んできた時間は
なんだんったのでしょう


こんな短時間な
拙速な進め方で
宿泊税導入問題を進めるのですか?


どうか、私たちのこの思いに
耳を傾けてください。

それでも2月の議会に
かけるのですか?






もっと時間をかけて
話し合いをしていく問題では
ないのでしょうか?




長くなりましたが、みやぎおかみ会の
活動報告で
東日本大震災後、ここまでこの真相を
お伝えしたのははじめてです。

9年経つ今だからこそ
宮城県宿泊税導入問題が勃発し
拙速に導入を進められている今だからこそ
多くの皆様に
知ってもらいたく
綴りました。




どうか、多くの皆様に知っていただけますように。
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Posted by 緑水亭 若女将 高橋知子 at 13:39若女将のブログ若女将の観光